写真日和Ⅱ

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2013.03.04 Mon 下鴨神社の流し雛

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桃の節句にあたる3日、下鴨神社の流し雛を見物してきました。

流し雛とは、子供の健康や成長を願って、小さな人形を川や海に流し、厄を払う行事として平安時代から始まったとされ、現在の雛祭りの原型だとも言われているそうで、下鴨神社では「日本古来の伝統行事を再現伝承し、節句行事への関心を高め、日本の良き美風と子女の成長を願う」ことを目的に、京人形商工業協同組合が「京の流しびな」として毎年開催しています。

この日は、前夜から市内に降った雪が薄っすらと楼門などの屋根に残り、時折、小雪が舞うなか、公募で選ばれたという市内在住の新婚夫妻が、十二単や冠位装束に身を包み、緊張した面持ちで、桟俵に乗せた人形を境内の御手洗川に流しました。

続いて、宮川町の舞妓さんや地元幼稚園の園児、そして、京都タワーのゆるキャラ・たわわちゃんらも人形を流したあと、園児らの元気な歌声で「ひなまつり」などを合唱し、一連の神事が終わると、一般の参拝客らも御手洗川に人形を流していました。

境内に植わる光琳の梅は、ようやく咲き始めたところでしたが、雅やかな平安絵巻を今に伝える流し雛に、春の訪れを感じました。

【撮影日/2013.03.03】

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2013.02.08 Fri 千本釈迦堂のおかめ福節分祭 ②

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千本釈迦堂の「おかめ福節分祭」の続きです。
一連の様子は昨日のエントリーに紹介しましたが、午後3時からの節分祭に先立って、本堂では上七軒の舞妓さんによる日本舞踊が奉納されました。

千本釈迦堂でも舞妓さんの踊りを見られるとは思っていなかったので、ちょっとしたサプライズで嬉しかったです…(^^;ゞ
日本舞踊を披露してくれたのは、上七軒の市まりさん(1~4枚目)と市知さん(7~10枚目)で、「藪のうぐいす」など2曲を舞ってくれました。

舞妓さんの艶やかな舞姿、本当に綺麗おすなぁ…。

【撮影日/2013.02.03】

2013.02.07 Thu 千本釈迦堂のおかめ福節分祭 ①

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北野天満宮の追儺式を見物したあと、千本釈迦堂の「おかめ福節分祭」も見物することにしました。

千本釈迦堂といえば、内助の功を描いた悲話「おかめの物語」があまりにも有名ですが、境内に佇むおかめ像も、この日ばかりは、艶やかな衣装を身にまとって節分会を優しく見守っていました。

さて、午後3時より始まった千本釈迦堂の「おかめ福節分祭」では、番匠保存会による木遣音頭(2枚目)が奉納されたのち、古式厄除行事として、境内をおかめと鬼が練り歩き、おかめ像の前で「法楽」と呼ばれる法要に続いて、本堂では節分厄除法要が厳かに営まれました。

因みに、番匠保存会による木遣音頭とは、奈良時代に起源をもつと伝えられる番匠たち(御所をはじめ宮殿や寺院などの建築を監督し、技術的にも優れた大工)が、上棟の際に、労働の喜びと施主の栄誉を歌いあげるもので、千本釈迦堂では、内助の功を捧げながらも、夫・高次のプライドを気遣って自害した、所縁のおかめに因んで木遣音頭が奉納されるのだそうです。

一連の法要が終わると、先にエントリーした北野天満宮の追儺式でも狂言を披露した茂山千五郎社中による「古式鬼追いの儀」が奉納されました。

千本釈迦堂での狂言は、北野天満宮のものとは全く異なり、「鬼は外」と豆をまいても執拗に暴れまわる赤鬼や青鬼を、お多福のお面を付けて登場したおかめが愛嬌を振りまくと、鬼たちは尻もちをついて大人しくなり、さらに、おかめに頭を撫でられた鬼たちは、改心して静かに立ち去っていくというストーリーで、およそ800年前から続く儀式なんだそうです。

狂言では、茂山千五郎家の若手で人気があり、俳優としても活躍している茂山逸平さん(7枚目)もまだ幼い息子(19枚目)たちとともに出演され、迫力のある演技に大勢の観衆らを沸かせていました。
そういえば、逸平さんと云えば、昨年の朝の連続テレビ小説「カーネーション」で吉岡栄之助役で出演されていましたね。

茂山千五郎社中による「古式鬼追いの儀」のあと、節分祭のフィナーレを飾る豆まきが行われ、今年の年男・年女で選ばれた檀家信徒をはじめ、僧侶や上七軒の舞妓らが本堂から豆を放り投げると、境内に詰めかけた参拝客らは手を伸ばして受け取り、大いに盛り上がりました。

【撮影日/2013.02.03】

2013.02.06 Wed 北野天満宮の追儺節分会 ③

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北野天満宮の神楽殿で、節分の日に行われた追儺式。
最後は、いよいよ追儺式のクライマックスともいえる豆まきです。

先にエントリーした「北野追儺狂言」のストーリーにもあるように、吉田神社や八坂神社から逃げ込んできた鬼を、北野に閉じ込めるという意味で、「福は内」とだけ連呼して豆まきを行ないます。

最後の豆まきでは、狂言で福の神を演じた茂山千五郎社中の役者さんをはじめ、上七軒歌舞会の芸舞妓さんらが振り袖を振りかざしながら、「福まめ」と書かれた袋に入った豆を放り投げると、大勢の参拝客らは、我れ先にと両手を拡げて受け取っていました。

先ほどまで緊張した面持ちで舞っていた舞妓さんたちも、この時ばかりは満面の笑みを浮かべながら、無邪気に豆まきしていたのが印象的でした。

【撮影日/2013.02.03】

2013.02.05 Tue 北野天満宮の追儺節分会 ②

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北野天満宮の神楽殿で、節分の日に行われた追儺式の続きです。
前エントリーで紹介した茂山千五郎社中による「北野追儺狂言」に続いて、お待ちかね、上七軒歌舞会による日本舞踊の奉納が行われました。

上七軒歌舞会は、京都五花街のひとつ上七軒の芸舞妓で構成されており、上七軒歌舞練場を本拠地に春の「北野をどり」などで、日本舞踊の演技を定期的に披露しています。
また、上七軒花街は、京都五花街のなかでも最も歴史が古く、室町時代に北野天満宮再建の折に使用された材木で七軒の茶屋が作られたことに由来しているのだそうで、さらには、太閤秀吉が北野大茶会を開いた際に、茶屋が御手洗団子を献上したところ、秀吉が大いに喜んだことから、花街の隆盛を極めたのだそうです。

さて、この日は、舞妓の勝奈さん(1枚目)、勝音さん(14枚目)、梅ちえさん(13枚目)、そして芸妓の勝留さん(8枚目)と尚可寿さん(9枚目)の5名が出演し、「梅にも春」や「藪のうぐいす」、「梅の数々」など節分に相応しい5曲が披露され、見物に訪れた参拝客やカメラマンらを魅了していました。

【撮影日/2013.02.03】
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